はじめに
「僕と結婚してください!」
このフレーズは今も昔もプロポーズの決め言葉であり、恋人同士が次なるステージ“結婚”へとジャンプアップするときに欠かせないワンフレーズと言って良いでしょう。
そしてプロポーズの形はカップルの数だけ存在し、男性にとって人生最大の山場に違いありません。
いっぽう女性にとっても、プロポーズされることは最高の喜びであり、大抵は一生に一度きりの貴重な瞬間です。
そう、誰もが婚約指輪と花束を持った素敵な男性に求婚される日を、少女の頃から夢見ているのです。
プロポーズという幸せいっぱいのこの風習は一体どのようにして生まれたのでしょう。また、昔はどのようなしきたりがあったのでしょうか。
この記事では、プロポーズはいつ頃から始まったのか、そしてどのような変遷を遂げてきたのか、その歴史をひもといていきます。
目次
1.プロポーズとは
プロポーズの意味を改めて調べると、次のように解説されています。
【意味】
プロポーズとは、申し込むこと。特に、結婚の申し込み。求婚。
【プロポーズの語源・由来】
プロポーズは、英語「propose」からの外来語。
英語の「propose」は、ラテン語で「前に置く」「見えるところに置く」を意味する「proponere」が、フランス語で「propose」となり、英語に入った。「proponere」の語構成は、「前に」を意味する「pro-」と「置く」を意味する「ponere」。
「前に置く」の意味から、「propose」は「提案する」「提出する」の意味となり、「申し込む」「求婚」も意味するようになった。
日本で「プロポーズ」といえば、特に「求婚」を意味する。
~語源由来辞典より~
欧米人が使うときの「propose」という言葉にはさまざまな意味があり、ビジネスや日常会話の中で一般的に使われています。どうやら求婚のための特別な言葉ではないようです。
片や日本で使用する「プロポーズ」という言葉はズバリ「求婚」を指し、結婚を申し込む行為そのものとして使われています。
結婚を約束するためのプロポーズは、これまでは男性から女性に対して行うことがほとんどでしたが、最近では女性から男性にプロポーズすることも珍しくありません。
例えば
- なかなか煮え切らない彼
- プロポーズするガッツがない草食男性
- 積極的な肉食系女子が好きになった男性
このような場合、自分からアクションを起こして「はっきりさせたい」と考える女性の気持ちも分からなくはありませんね。
さらに現在ではLGBTなどの多様性の時代を迎え、男性が男性に、女性が女性に対して堂々とプロポーズするケースも増えてきています。
2.プロポーズの世界的な始まりは古代ローマ時代から
プロポーズは日本に限らず世界においても、男性が愛する女性へ結婚を申し込むときに行うのが一般的です。
プロポーズの歴史は古く、その始まりは古代ローマ時代までさかのぼります。
そのころからすでに指輪を贈る習慣がありました。
プロポーズで受け取った指輪を着けるということは「結婚の約束を誓った証」として大きな意味を持ち、婚約指輪をはめた女性は贈った男性に対して純潔を守る義務が発生したといわれています。
ちなみに当時の指輪は飾りのない鉄製のもので、今と同様に左手の薬指にはめることが慣習としてありました。これは左手の方が右手よりも心臓に近く、さらに薬指は心臓と直接つながっていると信じられていたからです。
3.日本におけるプロポーズの歴史
日本におけるプロポーズはいつから始まり、そのしきたりはどのように変遷していったのでしょうか。
プロポーズという言葉自体はないものの、求婚という行為は日本でも太古の時代からありました。
それでは日本国内のプロポーズの歴史を、時代の移り変わりとともにひもといていきましょう。
3―1.始まりは古墳時代
プロポーズという行為は古墳時代からあったようです。
愛する異性が住む家の前で相手の名前を呼んだり好きな気持ちを詩にして読んだりする行為が「求婚」、つまりプロポーズの始まりだったと「万葉集」にも記されています。
直接面と向かって気持ちを伝える現代のプロポーズから比べるとまどろっこしくて遠回しなイメージは否めませんが、気配や声の抑揚、言葉などから相手の気持ちを感じとる様は、まさに日本ならではの「察する」文化の原点ともいえます。
ちなみに現代のような結婚制度はなかったため、恋愛を自由に謳歌していたこともこの時代の特徴です。
3―2.平安時代は和歌にしてプロポーズ
平安時代に入ると貴族の間で和歌を贈るという雅な風習が広まりました。
互いに思い合っている男女であっても、身分の違いや、さまざまな制約で簡単に会うことができないのがこの時代。
自分の気持ちを歌に詠んで贈ることは、相手へ胸の内を打ち明ける最大の伝達手段として大いに活用されたわけです。
平安時代において和歌はまさに恋愛の必須アイテム。
プロポーズの唯一の方法でもあったのですね。
そして男性は結婚したい気持ちを歌に置き換えて表現するだけでなく、歌を書いた和紙に色を付けたり香りを忍ばせたりと工夫を凝らしていました。
その涙ぐましい努力は当時の女性を大いに喜ばせたことでしょう。
その後、平安後期にはこの風情ある和歌の贈り合いはだんだんと姿を消していきます。
貴族たちが主役の優美な時代から、鎌倉・室町時代という乱世の代へと移り変わる中、結婚は政略的な目的を果たすための手段となり、いわゆる政略結婚が横行する戦国時代を迎えます。
その頃には結婚は当人同士の意思とはまるで関係のないところで決まっていったため、プロポーズをする機会自体がなくなってしまったのです。
3-3.江戸時代にはプロポーズが庶民に普及
戦乱の時代が終焉(しゅうえん)を迎え江戸時代になると、世の主役は武士から町人や庶民へと移ります。
江戸の町では一般庶民の間で歌や手紙を贈り合い、プロポーズが行われるようになりました。
これは、上級階級しかできなかった“読み書き”を一般庶民が学べるようになったことも背景にあります。
ただし、恋愛を自由に楽しみプロポーズをして好きな人と結婚できたのは主に庶民の間のことで、身分が上の階層の男女にとって結婚はやはり親が決めるものでした。
3―3-1.結婚相手は親が決めるのが主流
自分が本当に好きな人にプロポーズをして結婚相手を自由に決められたのは、一般庶民の中でもあまり身分の高くない人々に限られていました。
この時代は、一般的な家庭でも結婚相手は親が決めるものであり、2人の意思は尊重されない風潮が広くありました。
結婚相手の決め方としては、武家などの家柄では「政略縁組」が多く、戦国時代から続いている「家と家の結婚」という考え方です。
商人や職人の家では、商売を繁盛させるために娘の婿を番頭や弟子から選んで迎え入れる「跡継ぎ指名」が行われました。
庶民でも一般的には「お見合い」で結婚相手は決められていて、本人たちの意思は二の次であったことがうかがい知れます。
恋愛結婚という形があまり根づいていない時代ですが、男性が女性にプロポーズをする時は、櫛(クシ)を贈ったことが大きな特徴です。
結婚は苦しいもの、との考え方から
“苦労をともに分かち合いながら添い遂げたい……”
そんな気持ちを櫛(ク=苦しい、シ=死ぬまでずっと)に込めて求婚したのです。
3-4.現在のスタイルは明治以降
明治以降、キリスト教の普及とともに女性の貞操観念や純潔に対する考え方が強まります。
(出典:『古代キリスト教の社会教説』E・トレルチ著)
そのような背景から、結婚は娘の親と未婚の男性の間で決まることが多く、親から男性へ「娘をもらってくれ」、または男性から親へ「娘さんをもらいたい」といったやり取りで縁談がまとまっていきました。
女性の立場が弱い時代ではありましたが、開国によって西洋の文化が一気に流れ込み、婚約指輪と一緒にプロポーズするというスタイルが少しずつ広がったことも確かです。
昭和初期の頃までは親と未婚の男性が主導で結婚が決まるパターンがまだまだ多かったものの、徐々に当人同士の気持ちが優先されるようになりました。
それとともに男性が愛する女性に、“永遠の愛を誓う証=婚約指輪”を差し出しながらプロポーズするという行為が定番化していったのです。
日本ならではの求婚の形は昔からありましたが、現在のようなプロポーズが定着したのはそれほど遠い昔のことではなかったのですね。
今やプロポーズは「男のけじめ」。
女性は期待を胸に彼のひと言を待つ……愛し合う当人同士が主役の自由恋愛の時代を存分に味わわなくては、もったいない気さえします。
まとめ
プロポーズという行為は日本でも古くからあるものでしたが、その形は時代とともに大きく変容してきました。
そこには結婚に対する考え方や価値観が深く関わっていて、社会学的な奥深さを感じます。
令和という新しい時代を迎え、プロポーズのスタイルがこれからはどのように変化するのか、それとも変わらずにあり続けるのか、それは今を生きるカップルたちが決めていきます。
これから刻まれていく新たなプロポーズの歴史がますます楽しみですね。